元いじめっ子の懺悔ブログ

元いじめっ子が過去の出来事を、面白おかしく懺悔するブログです

第8話 大海原へ②

前回の"第7話 大海原へ"の続きです。
 
まずは、高校寮生活の一日を簡単に紹介したいと思います。
注)寮生活のありふれた日常を説明するだけです。
特に笑い等はありません。
いじめに関する話もありませんので、予めご了承ください。
 
 
6:00 起床

寮生活には当番が色々とありまして
各部屋の持ち回り制になっています。
 
朝起きるときにも"打鍾当番"というものがあります。
では、打鍾当番の仕事内容を簡単に説明したいと思います。
 
当番の部屋の奴隷(一年生)が、前日に寮にある公衆電話で時報を聞いて
(当時、携帯電話なんていう代物はありませんでしたので。。。)
腕時計の時間を合わせます。
そして、就寝前に目覚まし時計を起床時間より早くセット。

翌朝、当番部屋の奴隷がいち早く起床します。
その後、部屋の上級生を二年生から順に起こします。
 
「○○(上級生の名前)さん!起きてください!○○さん!本日打鍾当番です!!」
 
そして平民(二年生)および神様(三年生)が起きたところで、寮の前にある鐘に向かいます。
その時点で6時10分前くらいでしょうか。
 
そこから奴隷によるカウントダウンが始まります。
 
直立不動で、腕時計を見ながら

「部屋長、ただいま打鍾10分前となっております。」
 
「ただいま、5分前です。」
 
「・・・1分前です。」
 
そこで、部屋長がおもむろに鐘の紐を握りしめます。
 
「・・・30秒前です。」
 
「10・9・8・7・6・5・4・3・2・1」
 
 
「打鍾です!」

ここで注意しなければならないことが一つ!
間違って「ゼロ!」と言おうものなら
神のいかづち(腹部へのグーパンチ)がもれなくさく裂します。
(なぜダメなのか?意味はないでしょう。)

さあ、合図とともに部屋長が全力で鐘を打ち鳴らします。
その後、平民・奴隷の順に鐘を鳴らします。
 
その瞬間っ!!

鐘の音で飛び起きた部屋の奴隷全員が一斉に部屋の前に立って
 
「きしょ~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!」

と、肺の中の空気が無くなるまで叫びます。
(起床、と叫んでいます。)

その後、各部屋の奴隷は部屋の平民・神様を起こしにかかります。

「○○さん!起きてください!○○さん朝礼の時間です!」
 
なお、奴隷の起こし方が少しでも気に入らなければ
すぐさま神のいかずち(顔面への裏拳)が降り注ぎます。
 
 
以上、起床でした。
 
 
 
・・・・学生生活だよね?
 
 
6:30 朝礼

無事、全員が起きて寮の前に並んだところで、朝礼場所の学園中央広場に集合です。
勿論、集合の仕方も普通ではありません。
 
まず、各寮には"寮旗"というものが存在します。
それがまた、重い。
 
分厚い布で編み込まれており重量感抜群。
また、竿の部分は無造作にカットされた樫の木です。
中学上がりの奴隷にとって、とってもヘビーな代物です。
 
そんな寮旗を奴隷が両手に掲げたまま(奴隷がもつ係です。)
学園の周り2kmくらいを声出しをしながら走ります。

勿論、声出し係も奴隷です。
声が続く限り

「そ~~~~~~~~~~~~~」
 
と叫び、息が切れる寸前

「わっしょいっ!!」
 
の合図とともに、全員が

「わっしょいっ!!」

と、そこから交互に叫び続けます。(そこはさすがの神様も叫びます。)
 
 
わっしょいわっしょい言いながら
旗を持っている奴隷は腕をプルプルさせながら
寝起きからものの数分で、疲労困憊の状態になり何とか?中央広場に到着。
 
そこには寮担任や教頭先生がいて
お決まりのラジオ体操をしたり、先生のありがたいお話を聞きます。
 

以上、朝礼でした。
 
 
 
・・・軍隊かな?
 
 
7:00 朝食~登校

やっと、朝ごはんにありつけます。
ですが、奴隷はまだ気を抜いてはいけません。
 
各部屋で集まって朝食を食べるのですが、奴隷は配膳係です。
神様・平民・自分(奴隷)の順に配膳を済ませます。
一通り、全員に食事が行き渡ったところで神様が
 
「いただきます。」
 
と、言ってご飯を食べ始めます。
 
ですが、神様以外は誰ひとり一向に目の前の食事に手をつけません。
しばらくすると、神様が
 
「お前ら食べていいよ。」
 
と平民に向かって声をかけます。
 
それを聞いた平民は
 
「ありがとうございます!」
 
と感謝の意を表し、食べ始めます。
それから、さらに時間が経過し、、、

「お前らも食べていいよ。」

やっときました。奴隷のお食事タイムです。
だが!まだそこで気を抜けないのが奴隷のつらいところ。
 
「ありがとうございます!いただきます!」
 
と、ようやく食べ始めようと思った頃に
 

「おかわり!!」
 

神様のおかわりタイムです。

急いで、おかわりをもっていき、気を取り直して
食べようとすると、、、
 

「おかわり!!」
 
 
今度は平民がおかわりを要求します。

そんな感じで、自分の食べる時間もろくにないまま神様が食事を終えました。
神様が

と、いったら食事時間終了です。

勿論、食事途中であっても平民および奴隷も食事終了です。
上級生より、先に箸をつけることは許されず
上級生の食事が終わると、いくら食べ残しがあっても
奴隷は食事を終わらなければいけません。
 
空気を読めない奴隷がもぐもぐと食べていようものなら
上級生(平民)の素早い指導がさく裂します。(詳細は省きます。)

そんな感じで、同級生は全員早食い選手権に
出場できるほど、みんな食べるスピードが格段に速くなりました。

食事のあとは、ゆっくり歩いて寮まで戻ります。
(食事の後の運動は毒ですからね。)
 
寮に戻った後、神様の身の回りの世話をしながら
自分も学校にいく準備をして、無事投降登校。
やっと朝の地獄タイムが終了しました。
学校での束の間の休息です。
 
 
以上、朝食~登校でした。
 
 

・・・・軍隊だね!
 

とまぁ、こんな感じで寮生活(朝編)をお送りしました。

淡々とご紹介させていただいたので、特にオチ等はありません。
(スミマセン)
しばらく振りに振り返ると、色々とネタが思い浮かんできましたので
寮生活での面白エピソードは、今後も機会があれば紹介させていただきます。

ただの説明にも関わらず、最後まで読んで下さりありがとうございました。

第7話 大海原へ

皆さん、こんばんは。
元いじめっ子の武始です。
 
今回は、元いじめっ子の私が

お山の大将

を卒業する話をしたいと思います。
 
時は中学時代

当時は、何だかんだ上級生にケンカをふっかけられたり
他校の人間とバトルしたり、色々ありましたが
まだ、自分が

最強

であり

天才

と、一ミリも疑わなかった天狗状態の時期です。

そう、典型的な

お山の大将

でした。
 

そんな、お山の大将だった中学生時代に
さらにそれを助長する一冊のマンガに出会います。

それは・・・・・
 
 

花の慶次 -雲のかなたに-
 

です。
 

皆さん、ご存じですか?

隆慶一郎さんが執筆した小説「一夢庵風流記」を原作とした

天下一の傾奇者"前田慶次"
 
という歴史上の人物を主人公として描いたマンガです。

細かい部分の説明は省きますが、私が魅了された部分は

己の意地の為に、平気で命を懸ける

ところです。
花の慶次を読んだ私は

「俺が歩みたい人生がここにあるっ!!」

と、大変興奮したことを覚えています。(バカ)

その後、進路の第一志望欄に

傾奇者

と書いたのは今では恥ずかしい思い出です。(真のバカ)
 
また、田舎で調子に乗っていた私は、同じ田舎の高校へ行く選択肢は勿論なく

俺の力を試す為には、もっと広いステージが相応しい(勘違い甚だしいバカ)

と、関東の高校進学を決意しました。
そこは、当時全寮制の高校で全国から学生を集めていました。
そんなわけで、高校受験の為に慣れない勉強を頑張ったこともあり
何とかその高校に入学することができたのです。
 
さぁ、これから俺の傾奇者としての人生が幕を開ける!(天下一の傾奇者級バカ)

と、一人武者震いをしていたのもいい思い出です。
 

故郷を離れる時は、お連れの"クボケン"が一人見送りに来てくれました。
(彼を今後、捨て丸と呼びます。)

夜行バスに乗り込み、興奮で寝られないまま
翌日早朝、品川のバスターミナルに到着。
無事、高校のある学園に到着です。
そこで、出迎えてくれたのは、、、
 
 
屈強な上級生の方々でした。。。
 

当時、全寮制と言いましたが
私が入学するときは一部通学生(地元民)も受け入れており
まだ、学力もそこそこある(良識のある)子たちがいたのですが
私の一学年上までは、学力試験などないに等しく
勿論、入学者のほとんどは

脳みそまで筋肉の無法者
 
ばかりでした。

(うわ~、やばいとこ来ちゃったなぁ)
 
と、早速傾奇者の意地が崩れ去りそうになります。
 
(いや、こんな奴らに意地を通してこそ真の傾奇者ではないかっ!)
 
と、虎視眈々と下剋上チャンスをうかがっているところに追い打ちをかける事件が。
 
 
当時、同じ新入生で「東北の番長」と自負していた奴がいました。
身長は190cmはあろうかという位、ガタイもよくたしかに自分で番長と言いふらしているだけはある。
そんな彼が上級生の前で、でかい態度をとっているときです。
脳みそ筋肉の三年生集団に"指導"を受けました。
 
 
皆さん、想像して下さい。
 
 
脳みそ筋肉、だけで結構きついですが"寮生活"です。
"集団"といっても、三年生男子全員です。
一学年200人くらいはいました。
そんな、"脳みそ筋肉+数の暴力"に"指導"を受けた彼がとった行動は・・・

当時、寮の一年生は毎日夕方に先輩方の買い出しをする風習があったのですが
ある日、彼が
 
「買い物いってきま~~す!!」
 
と、元気よく出かけたままそのまま帰ってこなかったのです。

そう、彼は買い物ではなく"新幹線"に乗って地元に逃げ帰ったのでした。
その後、彼は二度と戻ってくることはありませんでした。

そんな感じで一学期の間に、2、3人位いなくなったと思います。

体育会系の方は、しっくりくると思いますが
上下関係がとても厳しく、一言でいうと
 
三年・・・神様
二年・・・平民
一年・・・奴隷
 
の生活です。
 
「そんなの普通だろ、大げさに言うなよ!」
 
という体育会系の通学生(だった)方は、想像して下さい。

奴隷の生活が、放課後だけでなく24時間続くのです。
(正確には学校の授業中以外)
学校の授業中だけが気の休める場所。
学校が終わると、そこは地獄。

毎日、5時間ずっとマッサージをやらされていた奴もいました。
毎日、片道1時間以上の道のりを(見つかれば停学)
深夜に買い出しに行かされていた奴もいました。
(彼は入学当時、頭がよかったのですが、買い出しが原因で学年最下位にまで上り詰めました。)

秀吉「その意地 あくまで立て通すつもりか・・・!?」
やむを得ませんな
秀吉「立て通せると思うか!!」
手前にもわかりませぬ
無理です!

武始の傾奇者人生・・・完

ウソです。続きます。

第6話"相撲大会"事件

この話は今まで紹介した
 
いじめっ子VSいじめられっ子
 
の話ではなく
 
いじめっ子同士の抗争
 
というか、対決話をご紹介させていただきます。
 

中学時代の話
 
本能で生きてきた小学校時代も終わり
こんな私にも、ある程度の理性が備わり始めてきた頃です。
 
当時、田舎の学校だったこともあり
人気のないマイナー競技は、野球部やバスケ部などから
 
"選抜"
 
で、大会にでることが通例でした。
 
元々身体が大きい方で、幼少期からのいじめ行動による
トレーニングの成果もでていた私は、中学生にもなると
立派?な"スポーツマン"になっていました。
 
中学時代はバスケ部に所属していましたが
上記の通り、選抜選手として陸上や
相撲の大会に一年生の時から出場していました。
 
まずは地区大会です。
 
田舎なので、せいぜい4校くらいだったでしょうか。
各校の特徴は以下。

米中学(私の中学です。)
 坊主学校
 スポーツは結構強い
 みんな仲良し

海北中学
 ヤンキー校
 長髪OK
 リーゼントがいっぱい
 伝説のヤンキーがいる

穴吐中学
 坊主学校
 KINGオブ田舎(田舎には田舎のヒエラルキーがあるんです。。。)
 生徒はみんな純朴

美海中学
 印象無し

はい、今回の対決の相手となるのは勿論
ヤンキー校のリーゼント君です。

まずは中学一年の時の相撲大会から。
 
私の通っていた米中学は、説明の通りみんな仲良し学校でしたので
番長なんてものはなかったのですが、そこはさすがヤンキー校
ピッカピカの一年生にも、しっかり
 
"番長"
 
がいたのです。
(男塾でいうところの"一号生筆頭"です。)
 
そいつは、一年にしてすでに立派なリーゼント頭で
部活に打ち込むようなやつではなかったと思いますが
おそらく、先生に
 
「お前の腕っぷしを他校の奴らにも見せつけてやれ!」
 
なんて口車にのせられ出場したのでしょう。
単細胞な彼は、他校の出場選手の前を肩で風をきりながら歩き
一人ひとりにメンチをきりながら(にらみながら)地区制覇の野望に燃えて登場です。
 
そんな彼とは別のブロックだった私は順調に勝ち進みます。
同じブロックにも海北中学の子が一人いました。
ヤンキー校にしては大人しそうな"おぼっちゃん"て感じの子でした。
土俵にあがりお互いが向き合うのですが、その子は私と目が合うと
 
(びくっ!)
 
としてすぐに目をそらすような子です。
闘争心(狂った性格)も身体能力(いじめで得た筋肉)も
その子より秀でていた私は難なく勝利をものにします。
 
そして、いよいよ決勝トーナメントです。
 
一号生筆頭のリーゼント君との対戦は準決勝の舞台です。
彼は土俵にあがってくるときもしっかり風を切っています。(肩で)
そして互いが土俵上で向き合います。すると、、、
 
「あ゛ぁ゛っ!!?」
 
という声が聞こえてきそうな位の表情で私を見つめます。(にらみます)
さすが、判を押したような、わかりやすいキャラクター。

まずは私の闘争心を削り取る作戦でしょうか。
ですが、私も"いじめの英才教育"を受けてきた猛者。
互いが狩る者。彼の威嚇に何だか変にテンションがあがってきました。

さあ、お互い理想的な精神状態でいよいよ立ち合い!
はっけよ~い、のこった!!

ドゴッ!!

ぶつかる頭と頭。
組み合ってみれば、相手の力量は大体わかります。
 
(おっ!?こいつめっちゃ力強いやんっ!!)

そこはお互い暴力を生業としてきた者同士。
年齢も同じとあって、力も拮抗していました。
 
さすがヤンキー校で番長まで上り詰めた者の実力でしょうか。
私は土俵際に追い込まれます。
最後、私は苦し紛れのうっちゃりをかけましたが
相手優位の体勢のまま、お互いが土俵外に転がり落ちました。
私は

(負けたっ!!)

と思いましたが、なんと軍配は私にあがっていました。
彼の足が先に出ていたのです。

その後、大一番を終えて一息ついている私の方へリーゼント君がやってきました。
 
「あとで、校舎裏まで来い。」
 
なんていうかと思っていたら
 
「俺に勝ったんやから、絶対優勝せえよ!」
 
と、なんともスポーツマンのような爽やかな笑顔で
一言いうと颯爽と立ち去っていきました。
(やっぱりスポーツはいいですね。)

なお、その後の決勝では海北中学のスポーツマン(身長1m90近く)にあっさり負けましたが。。。
 
その後、2年の時を経ていよいよ中学3年生最後の相撲大会が始まりました。
私はその時も順調に勝ち進み、決勝トーナメントで彼と衝撃の再開を果たします。
 
 
そう、その彼とは、、、
 

"おぼっちゃん"です。
 

中学一年の時、相手とにらみ合うこともできなかった、大人しそうな彼。
そんな彼も今では立派な

"リーゼント君"

になっていました。
 
"高校デビュー"や転校を機に"今日からツッパリ"はあると思いますが
彼はヤンキー中学在学中に立派な"ツッパリ君"に昇格していたのです。
 
当時の面影はなく、リーゼントもばっちり決まっていて
私に向ける眼光はとても鋭いものになっていました。
 
なぜか、息子の成長をみて目を細めて喜ぶ親のような心境になっていた私でしたが
そこは"生まれつき戦闘民族"である私がしっかりと"越えられない壁"を教えてあげようと決意しました。
 
行司の
 
「のこった!」
 
の掛け声と同時に一気に土俵際まで追い込みます。
 
当時の彼なら、早々に勝負を諦め土俵を割っていたでしょうが
リーゼント君に進化しただけあって、なかなか土俵を割りません。
もろ差しの状態で、彼が粘り続けます。
 
しかし、元来の肉食動物ではなかった彼は、修羅場の数も少なかったのか危機管理ができていません。
私相手にその状態で粘ることは自殺行為だったのです。
埒があかない状況に、いい加減しびれを切らした私は
 
(もう、相手がどうなってもいいや)

と、その体勢のまま相手もろとも土俵外に倒れこみます。
そして、相手の胸に私の全体重が伸し掛かりました。
 

ぐえっ!!!
 

と一言うめき声をあげた後、呼吸困難に陥ったのか仰向けの状態で悶絶しています。
私は、彼のそんな状態を意に介さず、踵を返し手刀を切って土俵をおりました。
 
彼はその後もしばらく倒れこんでいました。
先生やコーチが彼を介抱しています。
そして、いつまでたっても起き上がれない彼は
タンカで運ばれて行きました。
 
 
 
~結論~
天然のいじめっ子同士の戦いからは友情が生まれる(場合がある)
天然と人工モノの戦いからは悲惨な結末しか訪れない

一見同じような部類に見えて、中身が全然違うことがわかります。
姿形(髪形や服装)や言動で、見た目上"ツッパリ君"になれたとしても
中身まで"ツッパリ君"にはなれなかった人の一例でした。
 
 
後日談として
彼は私の数少ない友人"クボケン"と同じ水産高校に進学し
当時の話をこう語っていたようです。
 
「あれは死ぬかと思った。・・・お前の友だちやったんか!」
「もう、あんまりいきがるんやめるわ。」
 
と。
 
あの一件でこりたのでしょう、早々に戦いの螺旋(修羅道)から降りたようです。

元来、相手より力が上か下か、敵か味方かだけで
生きてきた者は、なかなか修羅道から抜け出せないと思います。
性根に染み込んだ価値観や考え方はそうそう変えられない。
いじめる側は、その生きざまを続ける限り、いずれ報いを受ける。
また、抜け出そうと思っても抜け出せない苦悩に永年、悩まされる。
 
私自身、戦いの螺旋を降りたつもりですが、今でも無意識のうちに
相手に対する敵対心などが言動の端々にでてしまっています。
(無意識に戦いを求めている?)
おぼっちゃんのように、その精神が性根に染み込む前に抜け出せたとしたら
本当、幸せだと思います。
 
この記事を書きながらそう感じました。
 
終盤、ぐだぐだになりましたが
最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
 
白鵬、一年振りの全勝優勝おめでとう!!

第5話"ドッジボール"事件

この話は、元いじめっ子の私でも、時折
 
「あの子、トラウマになってないだろうか?」
 
と、成人した後もしばしば思い出してしまう位
けっこうなことをしてしまった話です。
 
 
小学校4年生の時の話です。
 
 
その前に、同窓会で出会ったゆうこさんの事を書きたいと思います。
私は、成人してから、というか中学を卒業してから30歳になるまで
(嫁・子供ができるまで)
地元にはほとんど帰っておらず、県外を転々としていました。
なので、15年振りに地元に帰ってきて同窓会の通知をみると
 
一度参加してみよう!
 
と思い立ちました。
こう見えて、私も今までの自分の行いは十分承知していますので
ある程度のことは覚悟して同窓会にいきました。
ですが、そこはさすが同窓会、予想外に友人と昔話に花が咲く咲く。
 
あぼちゃん!ひさしぶりやな!
 
おうっ!ひさしぶり!
 
クボケン!元気してたか?
 
おう、何とか生きとるわ。
 
おい、クボケン!あそこのエーちゃんに話しかけたら、なんか態度がよそよそしいわ。
 
そら、お前あいつのこと昔散々いじめとったやん。
 
とまぁ、元いじめっ子らしい会話でしたが、、、なんか同窓会はいいですね。
そんな感じで楽しくお酒を飲んでいたら
別の席にいたゆうこさんが私の席に移動してきました。
そして、開口一番
 
「武始君にどうしても言いたかったことがあるんよ」
 
と言ってきました。
 
私は
 
(もしかして、昔のことを恨んで何か言ってくるのでは?)

と内心ドキドキしていました。
 
その昔のこととは、、、
 
なぜ、そんなことになったのか全く覚えていないのですが
ある日の学校で、私はゆうこさんを執拗なまでに追いかけ回していました。
 
捕まえて、ボコボコにしてやる!
 
と、なぜか泣きながら全力で追いかけていました。
ゆうこさんは、最初からずっと泣き続けていたと記憶しています。
 
学校の廊下で
 
必死の形相で
 
泣きながら
 
大声でわめきながら
 
追いかけまわす。
 
まわりの子たちも、私のいつも以上に異常な状態を察知したのか
すぐに先生を呼びます。
 
記憶にあるのは、散々追いかけまわした挙句
あとちょっとのところで、先生に押さえ込まれたこと。
 
最初に女の若い先生が私を抑え込もうとしたが
私のわんぱくパワーを抑え込めるわけもなく
私はその先生を振り払い、さらに追いかけようとする。
その後、もう一人男の先生がやってきて一緒に抑え込む。
さすがに、二人がかりでは前に進むこともできず
その場に押え込まれる。
(その時点で、ゆうこさんは腰を抜かし、私の前でボロ泣き状態です。)
ただ、その時の私は、鬼気迫る形相で這いつくばりながらも
じりじりと、その子のほうへ進もうとしています。
その後、さらにもう一人の先生が私に覆いかぶさります。
三人がかりで押え込まれた私は、さすがにピクリとも動くことができませんでした。

ですが、その時の私は
 
つかまえて、ぶちのめす
 
の、一点の曇りもない純粋な思いだったので
そんな状態でも諦めることはしませんでした。
先生に取り押さえられた時点で、場所は教室内だったと思います。
その時の状況は
 
教室内、窓の向こうにも多数のギャラリー
腰を抜かし、ボロ泣きする女の子
必死で私の動きを抑える先生たち
そんな絶望的な状況でも鬼の形相で女の子を睨む私
 
もうすでに給食の時間でしたが
そんな膠着状態が十数分、続いたと思います。
 
極度の興奮状態にあった私ですが、さすがに
時間の経過とともに冷静さを取り戻しつつありました。
ですが、サービス精神旺盛な私は
周りのギャラリーの目もあって
いきなり、やーめたとすることもできず。
演者のように、その後はなんとなく惰性でその子に向かっていたような気がします。
 
 
そこで父親登場です。
 
その当時は、よく親父が学校に呼び出されていました。
父親登場というきっかけをもらった私は
そのチャンスを生かし、追いかけるのをやめることができました。
 
そんなわけで、騒動は収まりましたが
先生たちは、いつ私が再びあの子を追いかけまわすかわからん
と思ったのか、その日は教頭先生、担任の先生、親父に囲まれて
一人視聴覚室で給食を食べました。
勿論、給食を食べた後、その日は親父とともに家に強制送還です。
 

話を戻します。
同窓会の席で、いきなり私にカミングアウトを始めるゆうこさん
話を聞くと、やはりこの一件のことでした。
 
(あ~、ごめんなさい)
 
と、いつでもあやまる準備は出来ていたのですが
話は以外な方向に進みます。
 
「あの時、ほんまぶつけてごめん」
 

・・・えっ!!??
 

何のことか理解できません。
話をよくよく聞いてみると
あの、追いかけ回し事件の発端は
その日の体育の授業中に起きたんだそうです。
 
その日の体育の授業はドッジボール
で、ゆうこさんは私にボールをぶつけたのだそうです。
当時極端に負けず嫌いだった私は
男子の中でもドッジボールに対するこだわりが強く
そんな私が
 
"女子にボールをぶつけられた"
 
という現実を受け止められず
狂ったようにゆうこさんを追いかけ回した
、、、らしいです。
 
そんな感じで、ゆうこさんは
 
「あのときのこと、武志君にあったら絶対あやまろうと思ってたんよ!」
「プライドを傷つけて、ほんとうにごめんね!」
 
と、ようやく気持ちを伝えられた安堵感に浸りながら
彼女は私にそのことを告げたのです。
 
 
・・・記憶って面白いですね。
 
加害者と思っていた精神障害の私に、逆に謝罪をする被害者女性。
狐につままれたような感覚で、彼女の話を聞いていた私は
 
い、いいよ!全然そんなこと!そんな全然気にしてないから!
俺もごめんな!
 
と、返すのが精一杯でした。
 
 
以上です。
 
本当、人の記憶ってその時の印象が段々強まるのか
私=散々追いかけ回して相手を追い詰めたことが強く記憶に残る
ゆうこさん=事の発端になったドッジボールでの出来事で
相手の心に傷をつけたことが強く記憶に残る
という二人が、奇跡的なシンクロをしたお話でした。
 
最後まで読んでいただきありがとうございました。

第4話"いじめられっ子を助けた話"

悪人でも一瞬の気の迷いで人助けをする一例として、この話を紹介したいと思います。
 
 
保育所時代の話
 
私の地域は漁師町の中で、さらに海沿いの場所でしたので
子どもたちの遊び場は駄菓子屋以外では、"はま"で遊ぶというのが定番でした。
ドラえもんでいう、ドカンのある広場)
 
はま、といっても船着き場周辺のことです。
地面はアスファルトで、ちょっといくと漁師の納屋が
あちこち密集していて、その間の狭い道が迷路のように
なっており、遊ぶのには最適の場所です。
そこで、ドロタン(全国的にはケイドロ?)や鬼ごっこ
かくれんぼや缶けりをしたりするのが一般的でした。
 
私は缶けりがどうしても苦手で、よく遊びながら泣いていた記憶があります。
 
鬼になって、友だちを探して、見つけたら

「み~つけた!」
 
と言って、置いてある空き缶を踏むのですが
小さい頃、とてもどんくさかった私は
見つける前に缶を蹴られたり(一からやり直し)
見つけた後の缶を踏むとき、缶をこかしたり、、、
 
 
さておき、今回の本題ですが
そんな、遊び場に新しい仲間が入ってきました。
最近、近所に引っ越してきた女の子です。
その子は保育所年少組くらいの子で
見た目的には特にいじめられるような要素はなかったのですが、、、
 
ある時、いつものはまで、近所の子と遊んでいたら
その子がやってきました。
その時、遊んでいたメンバーは

小3くらいの女子:リーダー的存在、性格悪い
その弟:私と同じ年くらい、お調子者
他の子たち:記憶にない
 
の5~6人くらいだったと思います。
遊んでいたリーダー女子がその子に
 
「名前なんていうの?」
 
と聞いても返事をしません。
 
「どこからきたの?」
 
と、聞いても表情を変えるだけで相変わらず返事をしませんでした。
のちに知ったのですが、両親が聴覚に障害のある方で、その子も
そんな両親の元で育ってきたせいか、言葉を話すことが
できなかったのです。
 
そんな子に対し、物珍しさもあったのでしょうが
小3の女の子が、女子特有の陰湿ないじめを始めました。
最初に、私たちは優しいんだよ、と餌付けをし始めます。
いじめっ子の家は近くにあったので、一旦家に帰り
お菓子を持ってきます。
どうみても、賞味期限切れの、、、
それを、女の子に食べさせていました。
いじめっ子は
 
「どう?おいしい?」
 
と聞いていました。
女の子は、黙ってこくんとうなずきます。
味をしめたいじめっ子は、さらにひどい事を思いつきます。
今度はあめ玉をもってきました。
 
(あめ玉で、何をするんだろう?)
 
と、みていたら、いじめっ子は私の方へやってきました。
 
「これにおしっこかけてきて。」
 
なんと、おしっこつきのあめ玉を食べさるつもりのようです。
私も、いやだなぁと思いましたが
年上のその子の命令を聞かないわけにはいきません。
(大人になって考えてみたら、飴に水をつけるなど
回避できる方法はいくらでもあったと思いますが)

私の家も近所にあったので、いじめっ子にもらった飴をもって
一旦家に帰ります。
 
(でも、どうやっておしっこをかけよう)
 
と、子供ながらに考えて、実行した方法は
 
家の玄関でおしっこをかける
 
という方法でした。
なぜか、トイレでかけることがとても汚いことだと思ったのでしょう。
あと、外でやるのは恥ずかしい。
また、地面に置くとあめ玉が汚れる、という考えが
頭をよぎり、以下の方法で実行しました。
 
玄関に入ってすぐのスペースでおちんちんをだす。
片手であめ玉をもつ(人差し指と親指の指二本で)
もう片方の手で、おちんちんをもつ。
狙いを定める。
発射。
 
しかし、手に当たるだけで、なかなかうまくあめ玉に当たりません。
ちょろちょろ出しを何度か繰り返し、ようやくあめ玉にヒットしました。
そして、みんなが遊んでいる場所に戻ります。
いじめっ子が
 
「どう?ちゃんとおしっこかけてきた?」
 
私は黙ってうなずきました。
いじめっ子は、あめ玉をみてちゃんと濡れていることを確認すると
弟にあの女の子を呼ぶよう伝えます。
そして、すぐに女の子が連れて来られました。
いじめっ子はにっこり笑って
 
「このあめ玉、あなたにあげる。」
 
と、私のもっているあめ玉を指さして言いました。
私は女の子にあめ玉を差し出すと、女の子は
なんの疑問も抱かずあめ玉を口の中に入れました。
いじめっ子は、にやにやしながら女の子に
 
「おいしいでしょ?」
 
と聞いています。
女の子は、またこくんとうなずきます。
そんな感じで、いじめはどんどんエスカレートしていきました。
 
はまに行く途中にある防波堤でのことです。
その防波堤はそんなに高さもなく、小学生くらいなら
登り下りが簡単にできます。
ですが、小さい女の子では登ることも下りることもできません。
 
そこで、いじめっ子が思いついたのが
その子を登らせてから全員が家に帰る
といういじめでした。
 
古い防波堤だったので、所々足を引っかける部分があり
そこに足をかけるように指示しながらいじめっ子が女の子を登らせます。
また、弟が上から手を差し伸べ、ようやく小さな女の子は
防波堤の上に登ることが出来ました。
登ったのを確認すると、いじめっ子は
 
「みんな、おりて!」
 
上にいた子たちは、合図をうけると一斉に飛び下りました。
 
残された女の子。
 
ただ、みんなを見つめるだけで
声にだすことも、泣くこともしません。
いじめっ子は
 
「よし、みんなかえろう!」
 
と、言います。
私が、その場に立ちすくんでいると
気に入らないのか、私にちゃんと家に帰るよう言ってきます。
言い返すことができなかった私は、その子のことが気になりながらも家に帰りました。
帰り際、いじめっ子をみると、満足そうに家に帰っているようでした。
 
 
家に帰った後も、どうしても気になって仕方ない私は
再びあの防波堤へ戻ります。
ついてみると、遊んでいる子は誰もおらず
防波堤の上で女の子がただ一人
ぽつんと突っ立っているだけでした。
 
私は、その子のすぐ近くまで行き
 
「おりておいで」
 
と、目いっぱい両手を広げました。
その子はニコッと笑って、私に身体を
あずけるように防波堤の上から飛び込んできました。
しっかり、女の子を受け止めた私は
その子を家まで見送り、少し誇らしげに家路についたのでした。
 
 
 
以上です。

特にオチも何もない話ですが、なんとなく印象に残っていた
話だったので紹介させていただきました。
 
根っからの悪人はそうそういない、と私は思います。
飴ちゃんの件は、愛嬌ということでお許しください。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

第3話"殺人未遂"事件

みなさん、お元気ですか。
 
自称"いじめっ子"の武始です。
今日も何とか生きています。
 
 
今回の話は、私が生まれて初めて人に対し
殺意を抱き、かつ行動に移した話です。

幸か不幸か、題名の通り未遂に終わってしまったのですが、、、
この件に関しては、とても反省しています。

ブログ名の通り、懺悔するつもりで書かせていただきます。
 
 
保育所時代の話
 
これは、私が保育所年長組の時の話です。
まず、この事件をお話しする前に、私の幼少期の
家庭環境を説明しておきます。
 
私の家は代々続いている漁師の家で
そこに嫁いできた母親は、元来のわがままな性格で
姑としょっちゅう衝突していました。(間違いなく私は母親似です)

母は、そんな家にあまりいたくなかったのか
毎日、遅い時間までパートに行っていました。
今でこそ、共働き世帯も普通になっていますが
当時は、専業主婦がほとんどで保育所が終わる時間になると
他の子たちは毎日お母さんが迎えに来てくれて
みんなニコニコ嬉しそうに帰っていました。
 

その間、私は見送り係です。
 
 
一人、二人と帰っていく中、いつまでたっても私には迎えが来ません。
大体は、私一人になった時点で
先生に
 
「たけし君、そろそろ帰ろっか。」
 
と言われ、一人で帰るか(子どもでも歩いて帰れる位の場所だったので)
たまにおばあちゃんが、自転車を押しながら迎えに来てくれるくらいでした。
(それでも迎えの最後の方です。)
 
勿論、親父は朝から酒を飲んだくれていて、迎えに来たことなど一度もありません。
こういう幼少期の経験って、かなり重要だと思うんですが、みなさんはどう思いますか。
 
私は他の子と比べ、ちょっと違う。

他のニコニコしながら帰っていく子は、家に帰っても楽しいんだろうな、とか。

自分は喜んで迎えに来てくれる人もいない、さびしいな、とか。
 
三つ子の魂百まで、ではないですが
そんな経験を積み重ね、また元来の自己中な性格も相まって
とんでもない性格の子が誕生しました。
 
まず、ちょっとでも気に入らないことがあれば殴る。
ほんと、確実に殴っていました。

一緒に楽しく遊んでいる友だちでも気づいたら殴っていました。
 
・・・最低ですね。
 
でも、当時の私の気持ちの持っていき場は、それ(暴力)しかありませんでした。

当然、そんな性格だった私に寄って来る友だちはいませんでした。
(数少ないアボチャンと、あと一人くらいはいましたが。)

例をあげると
 
 
新しいおもちゃが保育所に届く

子供たち、おもちゃに群がる

それを見つけた私、一緒に遊ぼうとする

みんな、私をみて顔色が変わる

私がその空気を感じ取り、力づくで奪う

(奪い取った)私がそのおもちゃで遊ぼうと思ったが
二人以上でしか遊べないおもちゃだと知る

面白くないので、そのおもちゃをほうる(ポイっ)

私が去ったあと、再びそのおもちゃにみんな群がる
 
 
はい、そんな最悪な性格の私に殺意を抱かせる子とはどんな子なのか。
 
その子は、まだ保育所にも入っていない小さな男の子で
くるくるの天然パーマと愛嬌のある笑顔が特徴の
遊び場の子どもたちの人気者でした。
 
いつもたくさんのお兄ちゃん・お姉ちゃんに囲まれ
その中心でこれでもか、という位の笑顔でキラキラ輝いている

私とは正反対の、幸せの象徴のような子でした。
 
私はその子を見るたびに、何とも言えない感情が沸き上がってきました。
そして、その子とは全く接点がなかったのにも関わらず
その子に暴力をふるうようになりました。
 
よくやっていたことは、周りのお兄ちゃん・お姉ちゃんの
目を盗み、その子に暴力をふるう。
その子が泣き出し、周りが気づく頃には知らんぷりをして
その場をやり過ごす、という最低の方法です。
 
ある日、保育所の広場にある遊具で遊んでいたら
その子とまわりの取り巻きが遊びにやってきました。
まわりのお兄ちゃん・お姉ちゃんは他の遊具で遊んでいます。
おあつらえ向きに、その子が私の遊具の近くにトコトコとやってきました。
その時、衝動的に
 
「この遊具であの子を殺してやろう」
 
と思い立ちました。
 
どんな遊具かというと、今では全く見なくなった
鉄の棒で作られた大きな球体で、中心部が支柱で固定されており
支柱を中心に外周部の鉄の棒を掴みながらぐるぐる回せるやつ(わかりますかね?)
当時、何人もそれに両手でつかまりながら、高速で回転させ
その遠心力で飛ばされケガしたりした、とても危険な遊具です。
 
その遊具の一番下の鉄の棒と地面との狭い隙間に
その子の頭をねじ込んでクビの骨を折ってやろう、という算段です。
 

・・・今考えてもすごい発想です。
 
そして、迷うことなく行動に移します。
まず、周りを見回し、みんながこっちをみていないか確認します。
お兄ちゃん・お姉ちゃんといってもせいぜい小学校の低学年の子なので
他の遊具で夢中になって遊んでいます。
 
(よし、いける。)
 
と判断した私はツカツカとその子のそばまで行き
首根っこを両手でつかみます。
 
その子が嫌がっているのを、意に介さず
狙いを定め、あの場所めがけ一気に押し込みます。
(なお、その遊具は危険な分人気があるので、他の子が高速で回転させています。)
 
 
ガンッガンッ!
 
 
鉄の棒と地面の間に頭が挟まれ、クビがクリュっ!っとなれば成功なのですが
頭が遊具にあたるだけで、はじかれて上手くいきません。

数少ないチャンスは2・3回あったかと思いますが
チャレンジは失敗に終わり、まわりが気づき始めたので断念しました。
(急いで退散です。)
 
今考えると、もし成功していたらどんな事件になっていたでしょうか。
保育園児の殺人事件!とかではなく、ただの事故として取り上げられ
闇から闇ですかね。(まわりの子たちは絶対、やつだ!と思うでしょうが。)
 
実際、事故に見せかけた幼児の完全犯罪ってあるような気がします。
そんな、隙あらばその子を泣かせまくっている日々も
まもなく終焉を迎えます。
 
ある日、いつもの駄菓子屋に入ったとき
たまたまその子が店の中に一人でいたのです。
偶然にもばったり鉢合わせてしまいました。
 
 
突然出会った二人、、、
 

見つめあう目と目、、、
 
 
次の瞬間!
 
 
 
私がなにをするでもなく、その子は大泣きしたのでした。
 
私=いじめてくる子
 
の図式が、その子の中でしっかりと出来上がっていたのでしょう
パブロフの犬の如く、その子は条件反射で大泣きしたのです。

○パブロフの実験結果
音を聞かせるだけで

犬がよだれをたらす(よく発見した、えらい!)

×たけし君のナチュラル実験結果
目が合うだけで

泣いてしまう(発表してはいけないやつ)
 
という、図式です。
 
その瞬間、私はその場から逃げるように家に帰りました。
それ以来、さすがにあの子をいじめることはなくなりました。
 
 
あれから、こんな最低人間の私でも
罪悪感からその子に手を出すことは無くなりました。

~後日談~
しばらくした後、またあの子がお兄ちゃん・お姉ちゃんに囲まれ
楽しそうに遊んでいる場面に出くわします。
 
みんなに囲まれて、ニコニコ笑っているあの子をまた、じーっと見つめていると
私の目線に気づいたのか、あの子がこちらを向きました。
一瞬ですが、目が合ってしまったのです。
 
(やばいっ!泣かれる!!)
(今、泣かれたらお兄ちゃん・お姉ちゃんにいじめていたことがばれる!)
 
と内心焦った私でしたが、予想とは裏腹に
あの子は私と目が合った後
 
「あれっ?あのお兄ちゃん誰だったかな?」
 
という表情で首をかしげた後、またみんなのほうに振り向きなおし
お兄ちゃん・お姉ちゃんとニコニコ笑いながら、みんなに囲まれながら
どこかに行ってしまいました。

以上です。
 
これが、最初で最後の本気で人を殺してやろうと思い
実際、行動に移した私の殺人未遂事件でした。
 
このような、いろいろな業を長年積み重ねてきた私ですので
私に訪れる幸せは来世に持ち越したいと思います。
 
最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

第2話"ピザまん"事件

この話は私の数少ない友人
 
「アボチャン」
 
の、いくらなんでも早熟すぎるだろ!?と思わせる話です。

彼は私の幼なじみで、奇跡的に今現在も付き合いのある
私にとって貴重な?存在です。

勿論、彼も普通ではありません
 
なお、このブログにでてくる登場人物・団体名等は全て仮名を使っています。
 
保育所時代の話。
 
今から30年以上も前のことです。
当時、子供の遊び場といえば近所の駄菓子屋でした。
昔はコンビニもなかったので、ある意味駄菓子屋が
子供たちにとってのコンビニでした。
 
お菓子・ゲーム・おもちゃ・くじ引き・ファミコンソフトのコピー(違法ですね)

余談ですが友人のアボチャンは、めざせまるきんの補助券が入っている場所の傾向や
ビックリマンのヘッドの配置傾向など、色々と法則を見つけるのが得意な奴でした。
 
ある日、友人のアボチャンと一緒に駄菓子屋に行きました。、
何気な~く店内をみまわっていると、、、
 
なんと!そこには、幼い私たちの心を惹きつけて止まない
新・商・品 が!
 
・・・なんだと思いますか?
 
そうです。

「ピザまん」
 
です。
 
題名でネタバレでしたが、当時どこの駄菓子屋にいっても
アンまんか肉まんのどちらかしかありませんでした。
 
また、「ピザ」という、子供心をくすぐる響き・・・

そもそも田舎の漁師町だったこともあって、ピザなんて洒落たものを
普段目にすること自体ありませんでした。

今でこそ、どこのコンビニでも見かける「ピザまん」に
幼い私たちの想像力がそれはそれは大いに掻き立てられました。
 
「あのピザまんってやつ。どんな味するんやろな?」
 
アボ「多分、チーズ入ってるで。」

「ほんまか!?あ~、いっぺん食べてみたいなぁ。」
 
私たちの少ないお小遣いでは、到底買える代物ではありません。
(当時150円くらい?)
 
少し離れたところで、もの欲しそうに話していると
同じ地域の友だち"スネ夫"君が駄菓子屋にやってきました。
 
彼は名前の通り、お金持ちの家の子どもです。
家も大きく、おもちゃもいっぱい持っていて、いつもいい服を来ていました。
 
そんな彼が向かった先は
そう、ピザまんコーナーです。
 
そこは同じ子ども、ピザまんの魅力に吸い込まれるように
近づき、食い入るようにピザまんを見ていました。
そして、そのあと迷うことなくピザまんをお買い上げ。
そう、彼には潤沢な資金(有り余るお小遣い)があったのです。

ニコニコしながら、買ったピザまんを持っている彼をみて
お金のない私は、とてもうらやましく思いました。
 
「力づくでとってやろうかな。」

そんな思いもあったかも知れません。
ただ、口をポカーンとあけスネ夫を見つめている私にアボチャンが
 
「今から、あれ(ピザまん)もらってくるわ。」
 
と言い、スネ夫のほうへ歩いていきました。
 
私は内心
 
(うわっ、無理やり取ろうとしてる。ばれたらあとで大人に怒られるんちゃう?)
と、ドキドキしながらも、少し離れた場所で彼らの様子を観察することにしました。
 
二人がなにやら会話をしています。
離れた場所から見ているため、会話がちゃんと聞き取れません。
 
(何話しているんだ?でも無理やり取ろうっていう雰囲気ではないな)
 
なんて思いながらみていると、いきなりスネ夫が泣き始めました!
 
???
 
しかも、その後アボチャンがなにやら話しかけたとたんスネ夫
 
ありがとー!ありがとー!!
 
と、ペコペコと何回もお辞儀をしながら
アボチャンにピザまんを渡しているではありませんか!
 
(一体、何が起きたんだ?)
 
全く状況がつかめていない私のほうへ意気揚々と帰ってくるアボチャン。
してやったり顔で私のところへ帰ってきました。
 
「どうやってもらえたん?」
 
彼に素朴な疑問を投げつけました。
するとアボチャンは得意げに話し始めました。
内容を要約するとこうです。
 
スネ夫にピザまんについて質問

初めて買ったことを確認

確認後、大人しか食べてはいけないもの、というウソ情報を提供
(持っているのが見つかっただけで大人に怒られる、など)

スネ夫、大泣き

こっそり捨てといたげるから渡すよう提案

スネ夫泣きながらありがとう、とピザまんを渡す

・・・さすが早熟

しかし、当時そんな説明を受けても、いまいちピンとこない私

(じゃあ、今一番危険なのは私とアボチャンでは?)
 
とか、色々考えてそわそわしていたと思います。
 
 
まぁともかく
 
私:労せずしてピザまん半分ゲット

スネ夫:大人に怒られる寸前、アボチャンに助けられホッと一安心

詐欺師:感謝されつつ、タダでスネ夫のピザまんゲット
 
という、近江商人の三方よしの精神を保育園児の時点で
実行するという、とんでもない友人だったのでした。

これが、私の数少ない友人アボチャンの"ピザマン"事件でした。
 
 
以上です。
 
少しは楽しんでいただけましたか?
 
アボチャンはその後も、早熟の才能を生かし
数々の友人をあの手この手でだまし続け
また、町内だけにとどまらず、周辺の町まで
遠征して、色々と美味しい思いをしていたそうです。
 
特にビックリマンでは一財産築いた、と言っていました。
また、好評でしたらアボチャン関連の話を上げてみたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。